暑中お見舞い申し上げます。
7月はじめの横浜市南区、どんとこいみなみでの講演会も終了。猛暑の中、真剣に聴きに来てくださった皆さま、企画してくださった皆さまに感謝しかありません。コロナ禍以降、久々の講師でしたが、皆様の真摯な眼差しに支えられました。
今回の講演は、“学齢期までとそれ以降の長い人生のギャップ”を、上手く乗り越えるということについてお話しさせていただきました。
30歳を超えた自閉症+最重度知的障害の長男の母として、またちっぽけな野のすみれクリニックリハビリテーション科の院長として、大切なテーマですが、まだまだ未消化部分もありました。
障害がある”と言われる人たちを、“支援する”人たちへ
困った人たちは困っている人たちです
悶着を起こしたい人はいません。
正確に本人を知ってください。
障害に対する知識をもってください。
彼らの自由も保証してください。
風変りですが、一生懸命生きています。
お互いに社会を形作るピースとして理解しあいたいです。
そして、支援が上手くいかなくなった時には、がっかりせず、
落ち着いて、方針に工夫と変化をお願いいたします。
工夫して上手くいけば、
支援する人もぐ~~~っと幸せを感じることと思います。
↑のスライドの一枚です。医者としてより、母としての心があふれ出ちゃっていますね~~(;^_^A
この1週間、神奈川新聞でやまゆり園の事件が特集されていました。神奈川新聞さん、忘れずに特集してくれて嬉しいです。
私も長男が3歳くらいの時、この子を育てながら医者を続けるのは難しいといわれました。しかし、どこかに預けようとは思えず、仕事を制限することを選びました。そういう
選択ができたことは、恵まれていたのかもしれないけれど、とってもとっても辛いことでもありました。
先週、野のすみれの外来で、36歳のお子さんが当院の運動プログラム←発達障害対応しています、を受けている間にお母さまといろいろお話ししました。36歳、横浜では横浜市総合リハビリテーションセンター創世記でした。重度知的障害の人は地域で暮らすのは無理と言われていた時代から、地域でも過ごせるよ、という過渡期の方。仲間作りをしながら、自宅で子育てをされた方です。それ以前は、良い施設があれば入れた方がいい、入れるしかないと思われていたわけです。
重度知的障害者も社会のピースです。地域でも生きられる、という現在の常識は、その時には常識ではありませんでした。やまゆり園では、施設が障害の重いこどもにとって一番よい終の棲家だと説明をされたのだと思います、入所された親子に、そこは安住の地ではなかった。事件の当初から、この事件は一人の人間が起こしたものではないと感じていました。社会全体の問題です。
お話ししたお母さまも私も、自分たちの子育てが上手くいったとは全く思っていません。親が近くにいたから、かえって良くなかったことも多かった、親が頑張らせずほっぽっとけばよかったとか、大笑いもありました。それでも難しい子育てに挑戦ましたよね、悩みましたよねと終結しました。
たくさんの犠牲があり、たくさんの重度知的障害者の想像を絶する忍耐があり、そのおかげで、また少し社会が動くのかもしれない。長男の子育ての時代に比べると、今の方がよくはなっていると思います。それが、たくさんの重度知的障害者の想像を絶する忍耐の上に成り立つものであることを忘れないようにしたいです。
彼らは弱いと思われるけど、とても強い人たちだと日々尊敬しています。私にはできない忍耐です。
どんとこいみなみの講演会では、私が学生時代から大好きだったケースワーカーさんにお会いしました。もうだいぶ人生の先輩ですが精力的にお仕事なさっていた!医学部3年生にリハビリテーション科と出会い、障害と生きるってことに興味深々な学生だった私ですが、その頃から面識のあった方です。元気をいただきました。当時、まさか、自分が当事者の親になるとは思いませんでしたけど~。
そう、明日は我が身なんですよ。情けは人のためならず。自分が、自分の大切な人が、障害者になったとき、どんな支援者に会いたいのか、そう考えてみていただけたらと思う日々です。
人は隔離されるものでも支配されるものでもない。その人にとって大切なかけがえのない一生です。それを保証することが、ぐるっとまわって自分のためになるはずです。
たくさんのご縁にいつも感謝しています。
