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歳々年々人同じからず
2021-02-28 Sun 14:13
2021年の2月も今日で終わり。例年恒例となっている味噌の仕込みをしました。アラサーになった長男はその体格を生かし、豆を踏み潰す?(笑)お役目に精を出してくれました。
コロナで生活が不自由になって1年。日本は厳しいロックダウンがないからなのと、私が医師であるために仕事はさほど大きな変化もなく(職員の絶え間ない感染予防対策のおかげですが)、実はさほどの大きな変動なく過ごしております。
重度知的障害+自閉症というギフテッドな長男との暮らしは、自然と彼が過ごしやすい範囲で過ごすという“制限”がいつもかかっています。
飛行機での旅行は彼が怖がるからいかない、電車を利用しても他人と距離が近い宿は難しいし、かといって高級宿も無理、ごく理解のある数店をのぞいて夜の外食も家族ではしないし、って感じです。だから、へんな言い方になりますが、コロナ以前にそういった活動が自由だった友人たちと、今の方が距離が狭まってるような感じ。正直、皆ができてるのにできないときは、羨ましいなとも思いました。しかし、いったんこの1年を過ごしながら、ニュートラルな気持ちで、自分がどんな生活がしたいか考えてみることができると、我が家の“いけてない”?暮らしぶりは長男のせいではなく、私の好みだったのかもと感じています。世の中の”いけてる”感じにものっていかなきゃという想いもあり、長男を理由に断っていたけど、違うかな、恥ずかしいし、付き合い悪く思われそうですが、家が好き(笑)…
今月はじめに舅が天国に。ばたばたするうちに義妹が、4年前に父が急逝した病院に入院するという騒動(義妹は元気に退院)もありなんだか父の最期も思い出し、2人の父と脳内で会話することが多かった2月になりました。寂しいな。自分の人生も秋に差し掛かったんだと感じます。はじめて好きな人に触れる、はじめての子を抱く、そういう“温かくてうれしいはじめて”は思い出になり、これからは別れが多いのかな…なんておもうと、ぐ~っと寂しさに引き寄せられますが、年の功、心を緩めて自分を甘やかす術も獲得してきた気がします。今、子育て真っただなかの若い世代は、激変する生活の中で、先もみえず、子どもを守りながらどう生きていくかと悩んでいるんだろうな~と思います。先のことが気になって仕方ないと思うけど、今日の細やかなよかった!とか、今日の息抜き~♪を、大切に。特に非定型のお子さんとの暮らしではご苦労が多いと思います。私も何度もお膳ひっくり返しそうになってますが、なんとかひっくり返さずよかった。今は夏なんだ!季節は止まりませんから、激しくても夏を満喫?してください。秋まで来て気がつくこともあるかも。私も長男のせいでの不自由ではなかったのかもとやっと思えました。物言わぬ長男との怪しい?駆け引きにも、のり突っ込みで笑いをとろうとする図々しい50代になりました\(^o^)/
2020以降、お料理インスタをはじめ、家庭菜園も行い、カクテル作りにも手を出し始まました。コロナ後、部屋はどんなに汚くても←これも長男のせいにできる!(笑)単なる掃除嫌いです、、友達呼んで語らいたいと思います。

写真はクリニック近くの彼岸桜。少し早いけど数日前で満開。年々歳々花は相似ていて美しいです。
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障害者用の弊害
2020-11-14 Sat 20:32
コロナのことで右往左往している間にも季節は廻り、2020も最終章にはいった今日この頃。生きづらさを抱えたこどもたちも来年度の進路の決定に悩む時期にもなりました。
私が装具の相談くらいで低頻度にかかわっている少年も来年中学校。先日お目にかかることができました。進学予定の中学校はエレベーターがあるんだけど、通常生徒は使用不可で、車いす移動のその子が使うときだけ使えるようにするにはどうするか検討中で、どんな形で使えるかわからない、とのお返事が来たとか。とっても明るい素敵な少年なので、本人はあんまり気にしてないけど、私がなんか引っかかりました。
“障害者用”って、設定っていつも違和感があります。障害者に使いやすいものは、たいていそうでない人にも使いやすい。みんなで使えばいいんじゃないか。障害者用トイレがみんなのトイレになってよかったと思います。障害は特別なものではないし、あってもなくても一人一人が大切にされるべき。生徒全員に使っていいことにしたら、みんながそのエレベーターに押しかけるでしょうか?そのエレベーターが必要な彼を押しのけてエレベーターを使う生徒がいるんでしょうか?さらに、もしかしたら体調が悪いとか、けがをしているとか、同じようにエレベーターが必要な生徒もいるかもしれない。それを車いすを使っているかどうかだけで分けることはできません。私がその少年だったら、自分が使うときだけ鍵を持った先生がきてエレベーターを動かすなんて嫌です。
まだどうなるかわからない話ですが、来春よい結果になってほしいです。変なことになったら援護射撃?したいと思います。
中学生の思考力を信じたい。先生方の規制ではなく、どのように対処して、どのようなルール作りが必要なのか、自分たちで考えさせてほしいし、考えられるんではないかと思う。それができないなら何のための小学校の教育だったのかと思います。
ただでさえ不確定要素が多い進路の検討…コロナ禍で新しい価値観がうまれ、戸惑う中、必死に対岸に向けて泳ぐ子どもたちに、私たち大人が小さな浮き輪でも投げてあげなくては、そんな風に思う11月です。
うがい手洗い!どうか風邪もひかずこの冬を乗り越えられますように!(写真はコロナ禍中も重度君長男の歯科チェックをしてくださるたまみ歯科。感謝♡)
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非定型は不便なだけ
2020-02-09 Sun 13:59
2020梅
あっという間に2月も3分の1が過ぎました。今日は気持ちの良い天気で、長男は夫と散歩に出かけました。長男は自宅に戻ってくると、自分の写ってる写真をよく見ます。昨夜たくさん見ていたようで彼の部屋がむちゃくちゃに(笑)掃除機かけるために片づけていると小学校の頃の個別支援級での写真が目につきました。机に向かいなんかやってます。やらされています?可愛いです。でもなんかかわいそうとも感じてしまった…定型発達にならなかった子でも、何とかそれらしく、皆がしているようなことをするようにセットして、これが先に何につながるかよりも、小学校教員の常識というか、手持ちの駒から課題をだされて、過ごさせられていたような数年間があったな~と今になって感じてしまう。長男は大きく定型から外れていたのがむしろ幸いで、その後は彼の特性にあうように過ごす方向に舵を切れました。しかし、もう少し頑張れば…というゾーンの子たちはずっとそのまま、やらされ続けてしまうことが多い。そのうちに定型のようにふるまえない自分を認めることができなくなってしまう。
目に見える障害、たとえば肢体不自由、の方が、話が分かりやすいかもしれません。脳性麻痺などで歩けない子は歩けるようにと訓練をつまされる。それ自体は悪くないけど、支援者の心の中に、歩けることが歩けないことよりいいことっていう枠組みがあるとよくない。歩けないことはいけないことではなく、歩ける人が多いなかで“不便”てことだけです。定型に入らないことが障害ってよばれますが、それは少数派ってだけのこと。少数派は不便です。でも人間として“下”ってことじゃないことを肝に銘じて、子供には接していかなければと自戒を込めて思います。自分は頑張って追いつかなければいけない人間って育てられて、大人になってから、自己肯定感の話を持ち出されても、自分は自分でいいと思うことはとても難しいです。長男はじめ障害にある人は世の中のスケールからみたら弱いのかもしれませんが、一緒にいると彼らの“強さ”を感じます。辛抱強く、定型の人の要求することに合わせて過ごしてがんばってます。こっちは、なかなかできてないのに…

世では中学受験も終わったようです。校風や理念で選んでほしいと願っても、偏差値というわけのわからない尺度で受験校をきめて突っ走ってるお子さんに何人か出会いました。定型の子たちも大変だな…と強く感じる季節です。どの子も新年度にむけて、頑張りすぎず、深呼吸してほしいです。
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なんでできないのは?はすべてを壊す言葉
2019-08-03 Sat 10:03
昨夜は横浜花火大会を自宅2階から上半分だけ鑑賞しました。
野のすみれ開業から3年も過ぎ、どたばたしているし、寒くて雨の多い7月だったから、
なんだか花火をみて、ど~んという音を聴いて、お~、夏がきてるんだ!って実感。
グループホームから週末帰宅の長男は、
“きれいだ~~”と叫ぶ母に、傍らでお付き合いしてくれました。

最近、今年春からグループホームに入居した患者さんの自傷や他害が悪化しているから、
投薬してほしいという話がありました。
いろいろ聞いてみると、そこのグループホームは、
なんでも一人で!が、合言葉で、いろんな身の回りのことを、自分でできるようにが目標だそうです。
できないでいると、やらないのはなぜ?なんでできないの?と、
言葉はきつくはないようですが、叱られる毎日という…。
“なんでできないの?”…これほど不毛な意味のない言葉はないと思います。
できないのは、できないからできないとしか言いようがなく、理由を強いて言えば、
①目標設定の間違い②説明の仕方が下手、というところでしょうか。
知的障がいがあるために、一人では暮らせないから、グループホームに入居している。
その人に、画一的に、支援者の一方的な目標を突き付けられて混乱して困り切っているだけですよ、
もう一度、暮らしぶりを考えましょうという話で投薬は今回はなしになりました。
私は趣味でバレエをやってますが、まあ、へぼです。でも大好き。
よたよた踊る私に、噛み砕いていろいろ教えてくださる先生のおかげで健康維持のために続けています。
もし、なんで言われたとおりに踊れないの?と言われたら、もう続けられないと思います。
私のバレエならまあ泣く泣くやめればいい。でも生活はやめることはできません。
支援者である職員さんも必死なんだと思う。でも視点を変えてほしいです。
大人になって以降、いや、こどももかな、生活は訓練の場ではないのですから。
そしてもっとその人の考え方、理解の仕方をしっかり見てほしいな~。

今朝、朝食の時に、長男が、すごく優しく私の肩にタッチしてきました。
私から抱きついたり頬ずり(←20代後半男子に間違った対応)することはあっても、
向こうからはめったにないので、なになに~~?!と、色めき立つ母(笑) 
どうも薬を飲んだ後の水をこぼしたらしく、なんとかテッシュ1枚で拭こうとしたものの、
拭ききれない量でヘルプを求めてきたということらしい。
重度くんですもの、自分でまずは何とかしようとしたことをほめてやりたい。
水なんか誰でもこぼします。母はよくお酒もこぼすわ~。
何より嬉しく感じたのは、その柔らかなタッチぶりと、人にヘルプを求められる姿にです。
彼らは環境次第です。
長男もできないことだらけ、誰かが“なんでできないの?”とせめて来たらイチコロだと思います。
日頃彼を取り巻く人々の優しさに感謝したいし、そういう支援が拡がるよう私も尽力したいです。

写真は野のすみれの運動プログラム。
理学療法士さんに丁寧に指導を受けるわがデカジャンボ。パンちらで失礼。
けっして叱らない指導をしてくださってます♡
運動プログラム
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障がいのある人の医療バリアフリーを目指して
2018-12-01 Sat 11:56
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師走1日目。野のすみれは第1土曜日はお休みをいただいているので、忙しかった11月の残務整理です。この28日に社会福祉法人中野あいいく会の一般公開講座で”障がいのある人の医療バリアフリーを目指して 親の立場と開業医の実践”というお題で話をさせていただきました。私の拙い話をとても温かい雰囲気で真剣に聴いてくださった皆様の感想をあいいく会の方が早速にまとめて送ってくださったものを、メールの中に見つけ嬉しく拝読。今、私の方が、お母様方、支援者の皆さまの深い思いにに触れ、心を動かされています。
子どもに障がいがあった、一生懸命育てていても、次々にやってくる自分では解決できないさまざまな問題。私も含めたくさんの親がそれに向き合い”幸せさがし”のように悩む毎日です。その解決しにくい問題の一つに、医者にかかる、ということがまだこんなに未解決にある現実を感想を読んで改めて感じました。障がいのある子が医者にかかるという場合①障がいそのものの相談②障がいとは別の普通に具合が悪いところを医者に診せる、の二通りがあります。①に関しても、”こども”時代を過ぎてしまうと、投薬でも、生活の相談でも、診断書でも、医者を見つけるのがとても難しくなるのがまだまだ現実です。②については、初めての場面になれにくい、感覚過敏、検査や治療の理解ができない、二次障害により問題行動さまざまな問題など診られる側のむずかしさと、診る側が障がいを知らないという事態がかけ合わさって複雑です。親や支援者はお医者さんならわかるはずだと思ってしまうけれど、障がいは幅広く、個々のバリエーションが大きくなかなか今の制度のなかでうまくいかない点があることも理解できます。
①も②も親であり医師である私も悪戦苦闘を繰り返しながらの日々ですが、今、少しづつ努力の方向が見えてきた気がしています。
親の立場からいうと、勇気をもって気持ちで負けず門戸をたたくことを伝えたい。医者は万能ではないけれど必ず受け止める人がいます。ダメそうなら、ハイ次!という気持ちで(笑)医師の立場からいうと、医師教育も含めて障がいについての知識をもっと医療界に広めること。行政に障がいのある子や人が、気を使わずに、必ず気持ちよく通える場所を作ってもらえるようお願いすること。
3年前にちょー医療抵抗性(笑)の怖がりの長男が両目の手術を受けることができました。私は母親としてというより、”医師免許をもった通訳”という立ち位置で、術前検査、入院、麻酔、手術、その後の安静期間を乗り切りました。こういう役目が制度化されれば、家族を支えられるとともにそれぞれの科のスペシャリストの名医、ほんとはきちんと治療したいと思ってくれている、医者を助けることになると思いました。
ほんとに道半ば。しかし情けは人のためならず。私の努力は、自分の子どもに帰ってくることですので、あきらめずに進めるんじゃないか、感想を拝読しながら思いました。中野あいいく会の皆さまにはお礼を申し上げたいです。
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