2012-04-28 Sat 09:17
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毎年4月は学校に行っている子どものいる母親には何かと慌ただしいものですね。私は、仕事も療育センターや特別支援学校なので、仕事に行く先々でもいろんな変化があり、4月5月の手帳はぐちゃぐちゃして、とうとうダブルブッキングもしてしまい、反省の日々です。
障害のある子にとっては環境が変わることは大変なことです。ちょっとした声掛けの仕方、介助の仕方が変わるということも、嫌だったり混乱したり調子を崩す原因にもなりかねません。 では、環境や介助者がずっと同じといううのが最良かというと決してそうではないと思います。子ども、特に障害をもつ子どもをもっていると、つい保護的に対応することを優先しがちですが、子どもはたとえ速さはまちまちでも一歩一歩変わっていくので、新しい鞘をあてがってみることも成長を助けることになると思います。いつも同じなのが親にも楽ちんな面も多いのですが、新しいクラスの人、新しい先生、新しい教室と、たくさんコミュニケーションをとり、今、多少混乱しても、長い目でみてよい育ちにつながるよう見守れる強い親でありたいものです。 ここ数週間、最低限の家事で切り抜けていて、季節の変化もあり庭の雑草がボウボウだけど。まあ小さいことには目をつぶり、疲れやすい新年度を乗り切りましょう。 スポンサーサイト
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2012-04-09 Mon 21:38
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今日は長男の始業式。長い春休みが終わりました。非常勤ながらも仕事を続けてきましたが、この長期休みを乗り切るのがなかなか大問題です。この春休みも、いろんな助けを借りて乗り切りました。年老いた実家の母にも一回出動してもらったり。どの家でも子どもが小さいうちは、母親が働くの大変です。一般的には中学生頃になり多少留守番ができるようになると、パートも含め働きに出るママも多いでしょう。ただ、知的障害であっても、肢体障害であっても、残念ながらいくつになっても一人では居られない子をもつ母が仕事に行くのはやはり難しいと思います。もちろん仕事をするかしないかは人それぞれの考え方ですが、働くという選択肢もない場合が多い気がします。一般の子たちが一人でいられるようなる中学生以降こそ、特に重度の障害をもつ子へのサポート、学校以外の余暇支援を含む預かりなど、を社会として考えていってほしいです。障害児の母は、精神的にいろんな場を踏んでますから、それが仕事にも生かせると思います。また、母にとっても、子どもと離れた自分を取り戻せる時間も重要なので。私はとりあえず、働いたお金も使って人を雇ったり何とかかんとか仕事が続けられたし、家族も支えてくれたし運が良かったと思います。でももう少し、社会資源がそういうことを推奨する方向に向いてほしい。たくさんの人にお世話になったことは長男にもプラスになったと思いますし。うーん、誰に訴えればいいのでしょうね??
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2012-04-04 Wed 17:02
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現在もクラシックバレエを習っています。幼稚園の頃、赤い靴に憧れ、クラシックバレエを習い始めたところ、明治生まれの祖父に”足が曲がる”と、やめさせられたり、日本舞踊は最後のポーズがいやで自分からやめたりなどなどの紆余曲折があり、結局長くお稽古に通ったのモダンバレエを看板に掲げるお教室でした。モダンバレエは踊りの幅が広くいろんな踊りを踊って楽しかったです。ジャンルはともかく踊りの稽古から離れることなく、結婚するまでは過ごしていました。でもその後は、子育てと仕事の両立が精一杯、一生舞台に立つこともなかろうと思っていたのですが、40歳の節目に、今日より若い自分はいないと、一念発起し今に至ります。先日、私にとっての一大イベント、年に一度の発表会がありました。そこに、私のパフオーマンス歴の中でも、もっとも刺激的だった”ネバーランドミュージカルコミュニティー”時代の先輩が二人来てくださいました!!!略して、ネバラン、学生演劇といえばそれまでですが、一応お金を払ってきていただく公演を打ってました。脚本も、音楽も、踊りもすべてオリジナル、さらに、劇団同士のつながりで、野田秀樹さんの夢の遊眠社のエキストラで、ほんのちょっとお金もいただいたり。とにかくそれまで知らなかった世界で楽しかった!私は大学の最初の二年間のみ在籍で、泣く泣くやめた(3年生からは解剖実習でとても無理で)のですが、プロになるまで頑張った先輩もいました。演劇人らしく?、ジャージ上等っ!と、井の頭線にジャージで乗ったりと今思うと赤面です。来てくださった二人のうちお一人とは本当に25年ぶりの再会。でも、お会いすると、一気に心がワープして、あの暗く妖しいお稽古場がまざまざと目に浮かびました。20歳前の小娘で何も世間も知らずだったのに、すっかり一人前のように振る舞ってたんだと思うと、なんだか可愛いものです。こうして旧知の友と会うと、元気がでて、あの頃からの毎日が今につながっていることをひしひし感じます。医者になれたこと、結婚相手に会えたこと、可愛いこどもに恵まれたこと、そしてその子に障害があると知ったこと、前半だけでもこんなにあります。でもとにかく生きてきたんだなって。先輩方とは、また踊りを通じて連絡を取り合うことになると思います。今はなきネバランに乾杯!
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2012-04-03 Tue 15:55
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これは当時パリに留学していた友人が、メールの中に書いてきた言葉です。おそらく仕事の話(その人は医師です)の中で、ところ変われば…という意味で書いたんだと思います。でも、私には感慨深い一言でした。、そうなんだ、誰にとっても常識って思っていることは、決して絶対的なものでも、間違いなく正しいものでもないんだな~って。自分の常識=価値判断にこどもをはめ込むことは無理だって腑に落ちる気がして、ちょうど自閉症の長男の思春期に手を焼いていた私はなんだかほっとしたのです。私たちと違った感覚を持ち、違った理解の仕方をする彼に、私の価値観どうりにさせるのは難しい。異文化?同志、折り合うところを見つけようと方向を変えるきっかけになりました。
それから5年たち、健常の妹も反抗期に突入。そうしたら、やっぱりここでも親子の価値観のぶつかり合いには変わりありません。娘には、ママはお兄ちゃんで学んだから、あなたに寛大にできるんだから兄に感謝しろー!と、結局は怒鳴ってしまい、ハイあまり寛大でもないですね。 こんな私にもいろんな側面があります。医師、妻、母、肩書もない素の自分…。それぞれの顔で属する社会があるのですが、どこに行っても安易に周囲に合わせず、自分の価値観はもち、それを人には押し付けず、過ごしていきたいものです。 |
| DR.akkoの春夏秋冬 |
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