私は洗礼をうけたクリスチャンではありませんが、聖書の言葉、キリスト教を基盤にした道徳観は強く支持しています。不定期ながらかよう教会もできました。このクリスマスの時期には、一年のことを思い返す良い時期ですね。
昨日は中区の地域作業所”シャロームの家”のクリスマスミサに参加してきました。横浜在住の方はご存知と思いますが、中区寿町は、いわゆるドヤ街です。ドヤという差別を受けやすい地域に住む上に、知的障害、精神障害を抱えた方が通ってる作業所です。さまざまなご縁で、その作業所に出入りし始めたことは、私の今年の10大ニュースに入ると思います。そこには、このブログに書いてよいのかわからないほどのたくさんの人生ドラマがあり、辛くてたまらないことも多いのですが、その中からその作業所に集まり、寄り添い,時には口げんかもするけど、明るいお顔で過ごす方たちに底知れない強さを感じます。シャロームの家の人たちには、親がないことも珍しくないのですが、シャロームの仲間、所長ご夫妻という最後まで自分を見捨てない人がいるという安心感が明るさの源なのでしょう。”この人たちは心は天才なのよ!”、”人には人それぞれの持ち場があり、いらない人間は一人もいないのよ!”とはっきり言い切り、どんな自分でも最後まで愛してくれる存在があれば、どんな環境でも人は笑顔をもって再生できるのかもしれません。
自分が親として、子どもが不出来なればこそ、愛しぬけるか、問われている気がします。障害があるのかな?追いつくのかな?と、兄に向けた不安な眼、人との競争に勝たずとも負けないでほしいと妹に向けた眼、どうだったのかしらと反省。意外と肉親だからこそ難しいのかもしれませんが、私の手元にやってきたものを認めて慈しむというシンプルな姿勢こそが、母に求められているものかもと思ってしまいました。家族とともにクリスマスをお祝いしたいと思います。
