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明子外来
2015-04-24 Fri 07:43
http://www.kanaloco.jp/article/90551
おはようございます。先日の神奈川新聞に明子外来の記事が掲載されました。
明子外来の成り立ちについて、淡々ととても上手にまとめていただけたと思っています。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします♡       明子
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重度の自閉症の家族考(先輩の文章を読んで)
2015-04-21 Tue 10:20
昨夜、何回かお目にかかったことのある千葉県自閉症協会会長の大屋滋さん(脳外科のドクターでもあり、医療バリアフリーの活動の先輩です)が、千葉県自閉症協会”みち”、日本自閉症協会”いとしご”に寄稿された文章を拝読しました。いろいろ心を打たれたところです。

重度の自閉症の家族をもつ場合、”普通”に生活することが時としてとても難しいです。”みち”には20数年ぶりに、家族4人でお正月にお雑煮を食べられた幸せがつづられていました。私まで嬉しくて泣きそうになりました\(^o^)/家族だからと言って、なかなか発達障害当事者の感覚、思いが理解できるわけではなく、手さぐり。長年にわたって、ある意味ではお互いに創意工夫を凝らしながら、ある意味ではお互いがぎりぎりのところの譲り合いながら、何とか暮らしてることも多いわけです。もちろん、お雑煮食べられなくったっていいんです。でもみんなが当たり前にやってることができない時、ほろっと悲しくなってしまう。そういうことで家族がくじけたり、攻めあったりしないで、深呼吸して”ま、いっか”とやり過ごしてほしいなと思います。

”いとしご”のほうは、千葉の袖ケ浦福祉センター虐待事件の調査報告書でした。これは最近起こった、入所者が死に至った事件です。本人の状態が悪化し、家族が行き詰まり、さらに本人の状態は悪化し、という悪循環が続いた後、家族との生活が難しくなって、または家族が高齢化して施設入所となった場合、”あばれる”などの強度行動障害に、施設側がよい対応を考えていくには、きちんと知識を持ったブレイン、マンツーマンに近いマンパワーが必要です。本当にまだまだ高い障壁があるけれど、親として医師として声をあげて行かなくてはと感じました。大屋さんをはじめ頼りがいのある先人に自分はなれそうもないが、頑張ります♪

今朝も、娘、夫、最後に作業所の送迎車に乗って長男が出発し、つかの間のお一人様タイムです。一旦、送迎車による送迎は難しい状態になっていたのが、再開できて3か月。つまずいたら、また送っていこうと思いつつ、続いています。時間になると何となく玄関に出てくるあたり、真面目だなとか眺めてます(笑)coffee袋で栽培を始めたトマトとなすは勝手に(笑)お元気そうな雨上がりの朝、みな様にも我が家にも良い一日になりますように♡012 - コピー
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”やってあげる”の落とし穴
2015-04-19 Sun 09:23
人にやってあげる、やってもらうって、いう時にどんな心構えが必要なんだろう…。なんとなく高校生の娘との夕食後の雑談からいろんな話になりました。
娘の学校ではボランティアの宿題がありました。小学生までは喜々として出身保育園などに行っていたのですが、中学生くらいから行きたくないと^^;彼女曰く、中学生がボランティアと言ったって、かえってお世話をかけるばかりでボランティアなんかにならないという理論。まあ一理あります。(でしょうか?)
知人はこどもの施設に綺麗に洗った子供服をもっていったら、入所中の小学校高学年の男子に”新品持って来いよ”と睨みつけられ意気消沈していました。
子どもの頃ですが、母が私のクラスの経済的に困ってるお友達に、少々日用品を渡していました。子ども心に私の感じた気まずさは今、思い出しても胸が詰まります。

…こんなような話がいろいろ出てきました。やってあげてる人間は、そうできたことで十分な満足感を得ているわけだから、相手から何も望むべきではないというのが、現時点での結論です。いろんな考え方があるんでしょうが、人間同士で”してあげる”という行為を行うのは難しいことですね。

人が育っていく過程で、親子の中でもそんな葛藤がありますね。自分でできる、自分でやりたい、親の支配から抜け出したい、親をはねのけたい、そういう葛藤をかつて自分乗り越えてました。

しかし、子どもに障がいがあり、”いわゆる自立”(身の回りのことができ、自分で稼いで生きていく)がのぞめない場合、この大多数の子育てにあてはまる構図が成り立たなくなってしまします。いつまでも親は”やってあげなければ””自分がいてこそ”という気持ちを払拭できず子どもさんに接してしまう(含む私^^;)…。子どもがそういう親を嬉しく感じるのは何歳まで何でしょうか?
成人した障がいのある長男と接しながら、またたくさんの患者さんと感じながら考えます。確かに社会的な資源がどこまで準備されているのか?、もちろん親としての責任は?ということもあるので、簡単に放り出せばよいと言ってるわけではありません。それでも、親だから何でもわかる、こんなにやってあげているのだから、というのは遅くとも15歳では、手放した方が良い感情だったな~と感じます。ある時期までしっかり関わり、あとは放り出す、少なくとも精神面ではそんな、ライオンのような子育てができればと思うのですが…。

あ~、偉そうなこと書きました。私自身いつまでも赤ちゃんのように長男に接することしばしば(-_-;)辛辣な娘に、”可愛いでなくてかわいそうって思ってるんじゃないの?”とかじろっと見られています。”ママがひたすら愛玩していいのはこっち!”と犬を指さされる毎日です。009 - コピー
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