
1月も半ば過ぎ、皆さま今年も健やかにスタートされたことと思います。
当院も職員一同張り切ってスタートしております。どうぞよろしくお願いいたします。
火曜日午前中の明子外来(障がいのある方の予約外来)も引き続き行っています。
障がい自体のご相談、診断書関係、装具や車いすのご相談などなどいろんな方、いろんなお子さんがいらっしゃいます。
そのあとに月1回ですが、昨年途中からのミニ勉強会を始めました。
①自閉症カンファランスで話したこと②発達障害について③障がいの定義④装具についてと、回を重ね本日は⑤障がいの受容でした。
”障がいの受容”…古くはフロイトの”対象喪失””悲哀の仕事”をモデルにした4段階のセオリーが主流でした。私も学生時代に知って感動しましたし、実際に当てはまることも多い理論です。”障がいをおう”ことは、かけがえのないもの(自分の機能や地位や社会的立場などなど)を失うことである、というのがこの理論の出発点です。
当事者がそう感じるのは良いかもしれませんが、リハビリテーションを担当する側が、はなからそう考えるのはどうだろう?そんな疑問がここ数年湧いてきています。
人はこうあるべきという形ってなんだろう。それを決める必要があるんだろうか。病気に相対し、克服しようとすることはもちろん素晴らしく、私もそのお手伝いはしたいと思っています。ただそのスタート時点は”喪失した”マイナスからでなくてもよいはず。そして最後に障がいを受容しようがしまいが、治療者側が云々するものではないだろう。だって人は何にせよ迷い続けてかまわないわけですから。そんな自由はあるはず。
さらに、先天障害についてとなるともっと違和感が出てきます。障がいのある子の親になることを受容するってなんだろう?
障がいのある子の親のなることは、何を失ってスタートすることなんでしょうか?
こどもの障がいを受け容れる…すごく含みがある言葉です。受け容れるっていいことなんだけど、そうすると受け容れなくちゃいけないが出発点になってしまう。私の感覚としては、それはとても嫌です。
生まれてきた障がいのあるこどもも、障がいをおった自分も、もっと普通に大切なものなんではないか!!などと今日のレクチャーのつたない資料を作りながら思った次第です。あれこれいろんな理論をレクチャーされたあと、実は疑問を持ってるふうな話になって聴いてくださった職員さん混乱したかもです(笑)
忙しい昼休みに顔を出してくれた今日参加の職員さんです♡院長もちらっとやってまいりました。
青セーターが私、正月太りで顔がまるい!
みなで今後とも精進していきたいと思います。