私より年上の大人になった障がい児(もと)さんもたくさんすみれにいらっしゃいます。横浜市には数少ない入所施設に長年入所されてる方も。書類を書くのに小さいころの病歴をとるのもなかなか四苦八苦。ご本人はニコニコ(^^;…そうだ、入所時の判定書類がとにかく一番古い情報だと、入所時の判定書類を付き添いの職員さんが出して下さいました。記載された書類をみせてくださったら、びっくりしたことに書いたのは私でした。今より数段きれいな字で一生懸命書いてありました(^^;23年前!!書類の内容をみながら患者さんのお顔を見ていたら、がらがらと殻が割れるように、奥から記憶がよみがえり、付き添いのお母さまの様子まで思い出した!私の方はその頃ちょうど長男が障がいがあると確信したころだった。先がわからず、大人になった長男も、初老になる自分も想像できず、自分より年上の方の施設入所のための書類を書きながら、それまで付き添ってこられ、介護が困難になり、施設入所の手続きをとってるご両親と、そのそばで不安そうにされてた患者さんの様子。はっきり思い出しました。偶然にこんなに時間がたって再会したら、温かい職員さんに付き添われ落ち着いた笑顔で過ごされいました。お話はすらすらできない方だけど、お互いにおこの23年間元気で過ごしたんだね!って、ふんわりことの成り行きに感謝する想いでした。
先週、学会で奈良に行ってきました。学会の特別企画で、奈良生まれの映画監督の河瀨直美さんのお話を聴きました。彼女は両親に育てられていないそうです。遠縁の血のつながらない祖父母といっていいようなご夫婦に大切に育てられたんだと私は初めて知りました。古都奈良には、つながってるものは次の世代に受け継ごうという気質があるんではと数日の滞在でもなんとなく感じました。それが河瀨監督にの映画製作のベースになってるんだな。自分一代でできることは少ない。でもいろんな希望や願いを、何らかの形で、バトンタッチしていくこと、それは大切ということではなく、生きる本質なんだ!って再確認できました。
障がいのある人として、障がいのある子の母親として、23年それぞれに生きて、再会した私たち。この23年がそれぞれの人生の何分の1なのかわかりませんが、お互いが生きて経験したことを誰かにバトンタッチできますようにと思います。関わってくださった沢山の人々に温かい感謝の念を持ちました。♡。写真は興福寺東金堂。仏頭にもお会いできました。
