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医師として母として障害と向き合う暮らしの中で想うこと
2018-09-14 Fri 21:36
横浜は秋雨でした。今日は短い昼休みに大曽根からダッシュして、大倉山商店街のアートカレンさんに行ってきました。港北区の支える会、私が尊敬する先輩ママさま方、私の親世代、が運営している会があります。その支える会の写真パネル展とかれんの手作り市の合同展を見に行くためでした。今週、この会と関係深い大原友子さんがこの展示会のことを教えてくださいました。彼女は構音障害があるので私との会話は50音字表です。一字一字指さしてくださり、かけてくださる温かい言葉にいつも励まされます。今日が最終日だったので行かれて良かった!写真展は友子さんのお仲間が作業所やグループホームで活き活きと暮らす姿でいっぱいでした。しかしただHAPPYというだけでなく、先輩ママさま方の、これからの一抹の不安や、まだまだ”お任せ”だけではだめなんだ!という親の力を振り絞るような想いも感じました。支える会ではTAWAWAというお便りを出しています。年に一度の特集号に私の拙文も寄稿させていただきました。校正前の生文章ですが、今の私の気持ちアップします。
長男もグループホームで週4過ごすようになり2年半。とても手のかかる彼がこうして過ごせていることは私の予想を良い方向に裏切ることでした。そして親でなければ彼を支えることができないという”思いこみ”が間違っていたことを教えてくれています。”親業を続けること”と、”託すこと”のバランスをまだまだこれから考えていくこと思います。

たわわ
医師として母として障害と向き合う暮らしの中で想うこと

みなさま、こんにちは。昨年7月に大倉山駅から少し歩いた大曽根に小さなクリニックを開業した鈴木明子です。重度知的障害で自閉症の長男の母と、リハビリテーション科医師。診られる立場と診る立場をめまぐるしく行ったり来たりしながら、この25年過ごしてきました。私はちっとも業績のある医者ではありません。“障害児の母であり…”ということがみなさまに注目していただけるきっかけとなっている、子の七光りの医者だと自分のことを思います。悔しいけれど今の医師として自分が出来上がるのにも、長男を育ててきたことは切り離せないし、また不思議といろんなところで彼に医師人生の岐路で行先を後押しされてきました。
私は子どものころから開業医だった祖父の影響で医師になることに憧れていました。漫然と内科か小児科医になり、祖父のように開業するのかなと考えていた気がします。医学部4年生の時“リハビリテーション科”という科に出会います。当時のリハビリテーション科のトップだった故大川嗣夫先生の授業で、それまであまり考えたことのない問いを投げかけられました。“上野の美術館にモナリザが来ました。その時に、~車いすのかたもどうぞいらして下さい。ただし水曜日に限ります~という看板がでたのだが、どう思いますか?”とか、“君たちの中で全盲の先生に習ったことがある人はいますか?”とか。時は1980年代、車いすの人、知的障害の人は、何となく世の中の真ん中には出てこられない時代だったのではないでしょうか。それまで、“障害のある人”というと、ときどき近所で見かける年の近いダウン症の子ぐらいだった私は、初めて“障害”ってなんだろうと深く考えるようになり、最終的に入学前は知りもしなかったリハビリテーション科に入局しました。
リハビリテーション科医となり、全国からたくさんの見学者を迎えていた出来立てピカピカの横浜市総合リハビリテーションセンターに勤めることができた私は、とても張り切っていました。ちょうどそのころに長男に重度の障害があるとわかりました。そして利用者としての立場も経験することになったのです。通園療育が必要となった長男でしたが、通園には家族の付添いが必要で、また自分自身も長男は母としての私を必要としているように感じ、常勤職をあきらめて非常勤となりました。医師としてのキャリアにはマイナスには違いなかったけれど、おかげで多いときには同時に10か所以上の非常勤を渡り歩く機会を得ることができました。市内や市外の療育センター、特別支援学校、作業所、行政機関などです。
“障害ってなんですか”という問いに、切り口によっていくつもの答えがあります。その一つとして、“暮らすのに困る原因になること”という言い方もあると思います。暮らすのに困るってどういう状態なんだろう。私がたくさんの職場を渡り歩いてきて感じたのは、“常識はその場の常識であること”、たとえば、この学校では困ったことだとか克服しなくてはいけないことといわれていることも、別の学校ではまったく問題ないといわれることもあるんだとか、自分自身の病気や障害が治らなくても、それを代替えできる機能の装置、(シンプルな眼鏡から、電動車いす、意思伝達装置、環境制御装置などなど。もう少ししたら盲の方が運転できる車も?)ができてしまったらもう何も問題ないのかな。つまり、障害とは実はかちっと決まったものではない。“それが普通でしょ”とか、“こういうことに決まっている”とか、たくさんの多数派の思い込みが、少数派を苦しめてしまう。障害は何よりも私たちの心が作ってしまうものだということを学ぶことができました。リハビリテーション=訓練と思われがちですが、障害はその人が属する社会との壁なのだから、その壁をなるべく低くするというのも、自分の大切な仕事であると認識しました。たくさんの福祉職や教育職の方とも出会えました。もし長男が通園に通う必要がなく、一か所の病院でバリバリ仕事をしていたらこういう価値観は持てなかったかもしれません。
あちこちの職場を駆け回りながら子育てし、何とか長男も養護学校を卒業。作業所に通いはじめましたが、1年目はなかなかうまくいかず苦労しました。最初の夏に作業所でパニックをおこし、そのあとしばらく通所ができず、私もいよいよ仕事ができなくなるかなという覚悟を決めた時期がありました。おかげさまで不思議と何とか乗り切ることができましたが、非常勤の職場は医師が一人という職場も多く急に休むと多大な迷惑になるため、非常勤の仕事を大幅にお断りして、夫が院長を務める整形外科での“明子外来”の時間を増やしました。一人30分、レントゲンも注射も焦らずのんびり、唄を唄ったり、絵カードを見せたりしながら行うというものです。夫の医院での外来数を増やしてたくさんの患者さんにお会いしはじめると、障害者は、障害そのものの診療と同様に、一般的な内科診察がうまく受けられずに困っているということがまだ少なからずあるんだなと肌で感じました。友人の婦人科医師に来てもらい、私が通訳?として一緒にはいる婦人科相談もこのころ始めたものです。明子外来はちっぽけな外来ですが、それなりに価値があり、喜んでくださる方もいる、大袈裟ですが、自分のこの世での役割ってこれかも!と思い始めました。医療バリアフリー、そんなことも考えてみたいと思いました。だんだんと、混み合っている夫の医院よりも、もっと静かでのんびり診療ができる場がほしくなり、現在の野のすみれクリニック リハビリテーション科にたどり着いたというわけです。港北区という地域に根付いて、毎年愛らしい花を咲かせるすみれのように、小さい幸せもずっと続きますようにと名付けたクリニックです。これまでは主にすでに障害の告知をうけた患者さんが多かったのですが、この風変わりなクリニックを開業してみると、療育センターに行くまでではないが学校への不適応に悩んでいる子どもたち、就職して初めて発達障害に気付いた人、などいろんな方に会い、もっともっと勉強しなくてはと思うようになりました。
私の医師としての人生に転機を与え続けている長男は25歳になりました。自閉症あるあるのエピソード満載で、困ったクンといっていい青年です。ほんとにたくさんの方々に親子ともどもお支えいただいています。私も若いころにはなかなか人に託すというのができなかった時期もありましたが、長男もうるさいかーちゃんから子ども扱いされるより、若い方に大人として接していただく方が適切な年齢になったんだしと、時に寂しいですが、離れる時期が来たんだなと感じる今日この頃です。みなさまにあれこれ偉そうにアドバイスさせていただいてる医師であっても、長男のことになると客観的になれないし、感情的になるし…それが母親と最近は開き直って、みなさまに託しています。周囲に託せるひとがたくさんいてくださるのは幸せです。そして、その分というのも変ですが、私も医師として託される立場になったときには全力を尽くそうと思います。
そんな長男ではありますが、親バカなのですが、私は自分より強くて優しい魂を持っているように感じています。お話もできなし、身の回りのこともいまいち、もちろんネットで何か調べることもできないけど、人を信じて前をむいて毎日なんだかかんだか暮らしている…。私のクリニックでゆったりした時間の流れで障害のある患者さんを診療していると、障害や病気でなく、その人そのものに接するチャンスがあります。趣味のこととか、悩みのこととか伺うとなんとも深いお話が聞け、魂に触れるような瞬間があり、感動したり尊敬したくなることばかりで、出会いにありがとうございますと言いたくなる。支えている人より、支えられている人の方が、たくさんの苦しみを乗り越えて、辛抱強く、とても勇敢に人生を歩んでいるんですよね。支援する人支援される人、診る人診られる人、多数派少数派…などなどの固定観念から抜け出した、フラットな共生社会が来ますようにと医師として母として願ってやみません。たくさんのピースで出来上がっている社会は誰一人欠けても出来上がらないものです。長男も患者さんもピース、私もピースとしてできることを探しながら、ゆったりとここに根を張って頑張りたいと思います。最後になりましたが、寄稿のチャンスをいただき感謝しております。若輩ものですが今後ともよろしくお願いいたします。
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