
いろんなことがあり、いろんなことができなくなった2020前半でした。そしてこの状況は今だけではなく、まだ当面続くし、いろんな価値観がかわるすごい局面に、いま自分がいるんだなと身が引き締まる想いです。
我が家のあらさーのじゅうどくん、自閉症+重度知的障害の長男も、同じように変化の中を生きています。今回、スケジュールはめちゃくちゃになるし、3月末からは思いのほか慣れていたグループホームから完全に家に戻っていました。どんな生活になるかなと思ったけれど、意外と淡々と過ごしました。野のすみれの患者さんとお話ししてても、一番混乱が大きかったのは小学校高学年~高校生でしたでしょうか。25歳以上は、やはり年の功!まあ、予定は未定ってかんじが身に染みてるのか、親御さんもびっくりするほど安定が崩れなかった人が多かったです。経験って大事。
5月半ばから、長男もグループホームに戻ることにしましたが、大きな不安がありました。コロナ自粛のあいだに、4年前の入所からずっと物凄くお世話になっていた当直のTちゃん、わたしたちは親しくなってちゃんづけでよんでました、が私より若いのに急逝してしまったのです。コロナとは関係のない急死だったようですが、週1か週2、お目にかかっていたし、亡くなる直前まで普通に接していた私には本当にショックでした。金曜日に長男を迎えに行くと、金曜日のシフトになることが多かったその方から長男を受け取っていましたが、“お母さん、月曜日は寒くなるらしいから上着持たせます”とか、とにかく先のことまで考えてくださり、ありがたかった。乾燥肌で虫刺されも多い長男には、軟膏つけたり絆創膏はったり、そんな手間も多いんですが、いつも私がやるよりずっと綺麗で、母性を感じる方でした。長男もいままで、自分を愛してくれていた人との永遠の別れを何度か経験してきています。ある日会えなくなり、二度と会えないことを彼がどう理解しているかは聞くことが出来ないけれど、私と同じように辛く、私と同じように仕方ないと感じているのでしょうか。いざ、グループホームに戻ると、変わりなく、世話人さん、他の当直の方のフォローも有り、淡々と変わりなく過ごしています。Tちゃんの奥様から香典返しが来ました。新潟のおせんべい。新潟生まれって言ってたな。長男が散らかしても、軽度の子がわがままいっても、うんちおもらししちゃう入居者がいても、ひたすらみんなを可愛がってくれてありがとうございました。そのおせんべいをみて、ほんとにTちゃん亡くなっちゃったって実感して泣きました。
長男のグループホームから、軽度の入居者が多い別のグループホームに移った軽度の知的障害の方がいます。先日、野のすみれに診断書の希望で来院されました。長男の兄貴です。診察の後、Tちゃんの話をしました。”Tちゃんがいなくなって〇さん(長男の名前)が困ると思う、いちばんよく分かってたから”っておっしゃいました。あ~、やっぱりTちゃん、いいひとだったんだなってまた泣きそうになりました。その軽度の方、いろんなことよく見てるんです。“うん、でも残った人のおかげでなんとかやってるよ”って答えると、“うん、じゃよかった”と言って、せっかく近くまで来たからグループホームに遊びに行ってくると、野のすみれを後にされました。“知的障害”って言われる人たち同士、取り巻く支援者との温かい心の交流があり得ることが実感できた瞬間でした。やまゆり事件…私の心から離れませんが、その時も頭に浮かびました。狂人一人の犯罪にしてはいけないと思うんです。犯人は長年施設に勤めていた人だった。その間に施設全体のムードが違えば違ったんではないか、また、犯人は日本の神奈川県で育ちました。世の中が障害者をどう見ているのか。今後どう変わるかが大切です。
長男が温かい支援者の中で過ごせていることが、奇跡でなく,いつでもだれでもそうなりますように。Tちゃん、ほんとにありがとうございました。長生きしてほしかったです!!
コロナ自粛のなか、制約が多い生活で、自分にとって大切なこと、切り捨てていいことがはっきりしました。Tちゃんとの別れを体験して、感謝の気持ちはいつか伝えるって思わず、今すぐ伝えることが必要だということ、知的障害の人同士や支援者さんとの豊かにな気持ちの交流が、実際目の前にもあるってわかりました。悲しいけど、前を向こうって思う!、というか、人は過去には戻れず、前にしか行かれないんだから。
間引き通所中に作業所で長男が作ったてるてる坊主。庭を見ながらぶら下がっています。何もできないけど、それが強みということがある。この子って、このおじさん?が、作ったものはなにか愛おしく捨てずらい母です。