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Tちゃん、ありがとうございました。
2020-07-04 Sat 14:39
てるてる坊主
いろんなことがあり、いろんなことができなくなった2020前半でした。そしてこの状況は今だけではなく、まだ当面続くし、いろんな価値観がかわるすごい局面に、いま自分がいるんだなと身が引き締まる想いです。

我が家のあらさーのじゅうどくん、自閉症+重度知的障害の長男も、同じように変化の中を生きています。今回、スケジュールはめちゃくちゃになるし、3月末からは思いのほか慣れていたグループホームから完全に家に戻っていました。どんな生活になるかなと思ったけれど、意外と淡々と過ごしました。野のすみれの患者さんとお話ししてても、一番混乱が大きかったのは小学校高学年~高校生でしたでしょうか。25歳以上は、やはり年の功!まあ、予定は未定ってかんじが身に染みてるのか、親御さんもびっくりするほど安定が崩れなかった人が多かったです。経験って大事。
5月半ばから、長男もグループホームに戻ることにしましたが、大きな不安がありました。コロナ自粛のあいだに、4年前の入所からずっと物凄くお世話になっていた当直のTちゃん、わたしたちは親しくなってちゃんづけでよんでました、が私より若いのに急逝してしまったのです。コロナとは関係のない急死だったようですが、週1か週2、お目にかかっていたし、亡くなる直前まで普通に接していた私には本当にショックでした。金曜日に長男を迎えに行くと、金曜日のシフトになることが多かったその方から長男を受け取っていましたが、“お母さん、月曜日は寒くなるらしいから上着持たせます”とか、とにかく先のことまで考えてくださり、ありがたかった。乾燥肌で虫刺されも多い長男には、軟膏つけたり絆創膏はったり、そんな手間も多いんですが、いつも私がやるよりずっと綺麗で、母性を感じる方でした。長男もいままで、自分を愛してくれていた人との永遠の別れを何度か経験してきています。ある日会えなくなり、二度と会えないことを彼がどう理解しているかは聞くことが出来ないけれど、私と同じように辛く、私と同じように仕方ないと感じているのでしょうか。いざ、グループホームに戻ると、変わりなく、世話人さん、他の当直の方のフォローも有り、淡々と変わりなく過ごしています。Tちゃんの奥様から香典返しが来ました。新潟のおせんべい。新潟生まれって言ってたな。長男が散らかしても、軽度の子がわがままいっても、うんちおもらししちゃう入居者がいても、ひたすらみんなを可愛がってくれてありがとうございました。そのおせんべいをみて、ほんとにTちゃん亡くなっちゃったって実感して泣きました。
長男のグループホームから、軽度の入居者が多い別のグループホームに移った軽度の知的障害の方がいます。先日、野のすみれに診断書の希望で来院されました。長男の兄貴です。診察の後、Tちゃんの話をしました。”Tちゃんがいなくなって〇さん(長男の名前)が困ると思う、いちばんよく分かってたから”っておっしゃいました。あ~、やっぱりTちゃん、いいひとだったんだなってまた泣きそうになりました。その軽度の方、いろんなことよく見てるんです。“うん、でも残った人のおかげでなんとかやってるよ”って答えると、“うん、じゃよかった”と言って、せっかく近くまで来たからグループホームに遊びに行ってくると、野のすみれを後にされました。“知的障害”って言われる人たち同士、取り巻く支援者との温かい心の交流があり得ることが実感できた瞬間でした。やまゆり事件…私の心から離れませんが、その時も頭に浮かびました。狂人一人の犯罪にしてはいけないと思うんです。犯人は長年施設に勤めていた人だった。その間に施設全体のムードが違えば違ったんではないか、また、犯人は日本の神奈川県で育ちました。世の中が障害者をどう見ているのか。今後どう変わるかが大切です。
長男が温かい支援者の中で過ごせていることが、奇跡でなく,いつでもだれでもそうなりますように。Tちゃん、ほんとにありがとうございました。長生きしてほしかったです!!
コロナ自粛のなか、制約が多い生活で、自分にとって大切なこと、切り捨てていいことがはっきりしました。Tちゃんとの別れを体験して、感謝の気持ちはいつか伝えるって思わず、今すぐ伝えることが必要だということ、知的障害の人同士や支援者さんとの豊かにな気持ちの交流が、実際目の前にもあるってわかりました。悲しいけど、前を向こうって思う!、というか、人は過去には戻れず、前にしか行かれないんだから。
間引き通所中に作業所で長男が作ったてるてる坊主。庭を見ながらぶら下がっています。何もできないけど、それが強みということがある。この子って、このおじさん?が、作ったものはなにか愛おしく捨てずらい母です。
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非定型は不便なだけ
2020-02-09 Sun 13:59
2020梅
あっという間に2月も3分の1が過ぎました。今日は気持ちの良い天気で、長男は夫と散歩に出かけました。長男は自宅に戻ってくると、自分の写ってる写真をよく見ます。昨夜たくさん見ていたようで彼の部屋がむちゃくちゃに(笑)掃除機かけるために片づけていると小学校の頃の個別支援級での写真が目につきました。机に向かいなんかやってます。やらされています?可愛いです。でもなんかかわいそうとも感じてしまった…定型発達にならなかった子でも、何とかそれらしく、皆がしているようなことをするようにセットして、これが先に何につながるかよりも、小学校教員の常識というか、手持ちの駒から課題をだされて、過ごさせられていたような数年間があったな~と今になって感じてしまう。長男は大きく定型から外れていたのがむしろ幸いで、その後は彼の特性にあうように過ごす方向に舵を切れました。しかし、もう少し頑張れば…というゾーンの子たちはずっとそのまま、やらされ続けてしまうことが多い。そのうちに定型のようにふるまえない自分を認めることができなくなってしまう。
目に見える障害、たとえば肢体不自由、の方が、話が分かりやすいかもしれません。脳性麻痺などで歩けない子は歩けるようにと訓練をつまされる。それ自体は悪くないけど、支援者の心の中に、歩けることが歩けないことよりいいことっていう枠組みがあるとよくない。歩けないことはいけないことではなく、歩ける人が多いなかで“不便”てことだけです。定型に入らないことが障害ってよばれますが、それは少数派ってだけのこと。少数派は不便です。でも人間として“下”ってことじゃないことを肝に銘じて、子供には接していかなければと自戒を込めて思います。自分は頑張って追いつかなければいけない人間って育てられて、大人になってから、自己肯定感の話を持ち出されても、自分は自分でいいと思うことはとても難しいです。長男はじめ障害にある人は世の中のスケールからみたら弱いのかもしれませんが、一緒にいると彼らの“強さ”を感じます。辛抱強く、定型の人の要求することに合わせて過ごしてがんばってます。こっちは、なかなかできてないのに…

世では中学受験も終わったようです。校風や理念で選んでほしいと願っても、偏差値というわけのわからない尺度で受験校をきめて突っ走ってるお子さんに何人か出会いました。定型の子たちも大変だな…と強く感じる季節です。どの子も新年度にむけて、頑張りすぎず、深呼吸してほしいです。
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なんでできないのは?はすべてを壊す言葉
2019-08-03 Sat 10:03
昨夜は横浜花火大会を自宅2階から上半分だけ鑑賞しました。
野のすみれ開業から3年も過ぎ、どたばたしているし、寒くて雨の多い7月だったから、
なんだか花火をみて、ど~んという音を聴いて、お~、夏がきてるんだ!って実感。
グループホームから週末帰宅の長男は、
“きれいだ~~”と叫ぶ母に、傍らでお付き合いしてくれました。

最近、今年春からグループホームに入居した患者さんの自傷や他害が悪化しているから、
投薬してほしいという話がありました。
いろいろ聞いてみると、そこのグループホームは、
なんでも一人で!が、合言葉で、いろんな身の回りのことを、自分でできるようにが目標だそうです。
できないでいると、やらないのはなぜ?なんでできないの?と、
言葉はきつくはないようですが、叱られる毎日という…。
“なんでできないの?”…これほど不毛な意味のない言葉はないと思います。
できないのは、できないからできないとしか言いようがなく、理由を強いて言えば、
①目標設定の間違い②説明の仕方が下手、というところでしょうか。
知的障がいがあるために、一人では暮らせないから、グループホームに入居している。
その人に、画一的に、支援者の一方的な目標を突き付けられて混乱して困り切っているだけですよ、
もう一度、暮らしぶりを考えましょうという話で投薬は今回はなしになりました。
私は趣味でバレエをやってますが、まあ、へぼです。でも大好き。
よたよた踊る私に、噛み砕いていろいろ教えてくださる先生のおかげで健康維持のために続けています。
もし、なんで言われたとおりに踊れないの?と言われたら、もう続けられないと思います。
私のバレエならまあ泣く泣くやめればいい。でも生活はやめることはできません。
支援者である職員さんも必死なんだと思う。でも視点を変えてほしいです。
大人になって以降、いや、こどももかな、生活は訓練の場ではないのですから。
そしてもっとその人の考え方、理解の仕方をしっかり見てほしいな~。

今朝、朝食の時に、長男が、すごく優しく私の肩にタッチしてきました。
私から抱きついたり頬ずり(←20代後半男子に間違った対応)することはあっても、
向こうからはめったにないので、なになに~~?!と、色めき立つ母(笑) 
どうも薬を飲んだ後の水をこぼしたらしく、なんとかテッシュ1枚で拭こうとしたものの、
拭ききれない量でヘルプを求めてきたということらしい。
重度くんですもの、自分でまずは何とかしようとしたことをほめてやりたい。
水なんか誰でもこぼします。母はよくお酒もこぼすわ~。
何より嬉しく感じたのは、その柔らかなタッチぶりと、人にヘルプを求められる姿にです。
彼らは環境次第です。
長男もできないことだらけ、誰かが“なんでできないの?”とせめて来たらイチコロだと思います。
日頃彼を取り巻く人々の優しさに感謝したいし、そういう支援が拡がるよう私も尽力したいです。

写真は野のすみれの運動プログラム。
理学療法士さんに丁寧に指導を受けるわがデカジャンボ。パンちらで失礼。
けっして叱らない指導をしてくださってます♡
運動プログラム
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障がいのある人の医療バリアフリーを目指して
2018-12-01 Sat 11:56
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師走1日目。野のすみれは第1土曜日はお休みをいただいているので、忙しかった11月の残務整理です。この28日に社会福祉法人中野あいいく会の一般公開講座で”障がいのある人の医療バリアフリーを目指して 親の立場と開業医の実践”というお題で話をさせていただきました。私の拙い話をとても温かい雰囲気で真剣に聴いてくださった皆様の感想をあいいく会の方が早速にまとめて送ってくださったものを、メールの中に見つけ嬉しく拝読。今、私の方が、お母様方、支援者の皆さまの深い思いにに触れ、心を動かされています。
子どもに障がいがあった、一生懸命育てていても、次々にやってくる自分では解決できないさまざまな問題。私も含めたくさんの親がそれに向き合い”幸せさがし”のように悩む毎日です。その解決しにくい問題の一つに、医者にかかる、ということがまだこんなに未解決にある現実を感想を読んで改めて感じました。障がいのある子が医者にかかるという場合①障がいそのものの相談②障がいとは別の普通に具合が悪いところを医者に診せる、の二通りがあります。①に関しても、”こども”時代を過ぎてしまうと、投薬でも、生活の相談でも、診断書でも、医者を見つけるのがとても難しくなるのがまだまだ現実です。②については、初めての場面になれにくい、感覚過敏、検査や治療の理解ができない、二次障害により問題行動さまざまな問題など診られる側のむずかしさと、診る側が障がいを知らないという事態がかけ合わさって複雑です。親や支援者はお医者さんならわかるはずだと思ってしまうけれど、障がいは幅広く、個々のバリエーションが大きくなかなか今の制度のなかでうまくいかない点があることも理解できます。
①も②も親であり医師である私も悪戦苦闘を繰り返しながらの日々ですが、今、少しづつ努力の方向が見えてきた気がしています。
親の立場からいうと、勇気をもって気持ちで負けず門戸をたたくことを伝えたい。医者は万能ではないけれど必ず受け止める人がいます。ダメそうなら、ハイ次!という気持ちで(笑)医師の立場からいうと、医師教育も含めて障がいについての知識をもっと医療界に広めること。行政に障がいのある子や人が、気を使わずに、必ず気持ちよく通える場所を作ってもらえるようお願いすること。
3年前にちょー医療抵抗性(笑)の怖がりの長男が両目の手術を受けることができました。私は母親としてというより、”医師免許をもった通訳”という立ち位置で、術前検査、入院、麻酔、手術、その後の安静期間を乗り切りました。こういう役目が制度化されれば、家族を支えられるとともにそれぞれの科のスペシャリストの名医、ほんとはきちんと治療したいと思ってくれている、医者を助けることになると思いました。
ほんとに道半ば。しかし情けは人のためならず。私の努力は、自分の子どもに帰ってくることですので、あきらめずに進めるんじゃないか、感想を拝読しながら思いました。中野あいいく会の皆さまにはお礼を申し上げたいです。
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医師として母として障害と向き合う暮らしの中で想うこと
2018-09-14 Fri 21:36
横浜は秋雨でした。今日は短い昼休みに大曽根からダッシュして、大倉山商店街のアートカレンさんに行ってきました。港北区の支える会、私が尊敬する先輩ママさま方、私の親世代、が運営している会があります。その支える会の写真パネル展とかれんの手作り市の合同展を見に行くためでした。今週、この会と関係深い大原友子さんがこの展示会のことを教えてくださいました。彼女は構音障害があるので私との会話は50音字表です。一字一字指さしてくださり、かけてくださる温かい言葉にいつも励まされます。今日が最終日だったので行かれて良かった!写真展は友子さんのお仲間が作業所やグループホームで活き活きと暮らす姿でいっぱいでした。しかしただHAPPYというだけでなく、先輩ママさま方の、これからの一抹の不安や、まだまだ”お任せ”だけではだめなんだ!という親の力を振り絞るような想いも感じました。支える会ではTAWAWAというお便りを出しています。年に一度の特集号に私の拙文も寄稿させていただきました。校正前の生文章ですが、今の私の気持ちアップします。
長男もグループホームで週4過ごすようになり2年半。とても手のかかる彼がこうして過ごせていることは私の予想を良い方向に裏切ることでした。そして親でなければ彼を支えることができないという”思いこみ”が間違っていたことを教えてくれています。”親業を続けること”と、”託すこと”のバランスをまだまだこれから考えていくこと思います。

たわわ
医師として母として障害と向き合う暮らしの中で想うこと

みなさま、こんにちは。昨年7月に大倉山駅から少し歩いた大曽根に小さなクリニックを開業した鈴木明子です。重度知的障害で自閉症の長男の母と、リハビリテーション科医師。診られる立場と診る立場をめまぐるしく行ったり来たりしながら、この25年過ごしてきました。私はちっとも業績のある医者ではありません。“障害児の母であり…”ということがみなさまに注目していただけるきっかけとなっている、子の七光りの医者だと自分のことを思います。悔しいけれど今の医師として自分が出来上がるのにも、長男を育ててきたことは切り離せないし、また不思議といろんなところで彼に医師人生の岐路で行先を後押しされてきました。
私は子どものころから開業医だった祖父の影響で医師になることに憧れていました。漫然と内科か小児科医になり、祖父のように開業するのかなと考えていた気がします。医学部4年生の時“リハビリテーション科”という科に出会います。当時のリハビリテーション科のトップだった故大川嗣夫先生の授業で、それまであまり考えたことのない問いを投げかけられました。“上野の美術館にモナリザが来ました。その時に、~車いすのかたもどうぞいらして下さい。ただし水曜日に限ります~という看板がでたのだが、どう思いますか?”とか、“君たちの中で全盲の先生に習ったことがある人はいますか?”とか。時は1980年代、車いすの人、知的障害の人は、何となく世の中の真ん中には出てこられない時代だったのではないでしょうか。それまで、“障害のある人”というと、ときどき近所で見かける年の近いダウン症の子ぐらいだった私は、初めて“障害”ってなんだろうと深く考えるようになり、最終的に入学前は知りもしなかったリハビリテーション科に入局しました。
リハビリテーション科医となり、全国からたくさんの見学者を迎えていた出来立てピカピカの横浜市総合リハビリテーションセンターに勤めることができた私は、とても張り切っていました。ちょうどそのころに長男に重度の障害があるとわかりました。そして利用者としての立場も経験することになったのです。通園療育が必要となった長男でしたが、通園には家族の付添いが必要で、また自分自身も長男は母としての私を必要としているように感じ、常勤職をあきらめて非常勤となりました。医師としてのキャリアにはマイナスには違いなかったけれど、おかげで多いときには同時に10か所以上の非常勤を渡り歩く機会を得ることができました。市内や市外の療育センター、特別支援学校、作業所、行政機関などです。
“障害ってなんですか”という問いに、切り口によっていくつもの答えがあります。その一つとして、“暮らすのに困る原因になること”という言い方もあると思います。暮らすのに困るってどういう状態なんだろう。私がたくさんの職場を渡り歩いてきて感じたのは、“常識はその場の常識であること”、たとえば、この学校では困ったことだとか克服しなくてはいけないことといわれていることも、別の学校ではまったく問題ないといわれることもあるんだとか、自分自身の病気や障害が治らなくても、それを代替えできる機能の装置、(シンプルな眼鏡から、電動車いす、意思伝達装置、環境制御装置などなど。もう少ししたら盲の方が運転できる車も?)ができてしまったらもう何も問題ないのかな。つまり、障害とは実はかちっと決まったものではない。“それが普通でしょ”とか、“こういうことに決まっている”とか、たくさんの多数派の思い込みが、少数派を苦しめてしまう。障害は何よりも私たちの心が作ってしまうものだということを学ぶことができました。リハビリテーション=訓練と思われがちですが、障害はその人が属する社会との壁なのだから、その壁をなるべく低くするというのも、自分の大切な仕事であると認識しました。たくさんの福祉職や教育職の方とも出会えました。もし長男が通園に通う必要がなく、一か所の病院でバリバリ仕事をしていたらこういう価値観は持てなかったかもしれません。
あちこちの職場を駆け回りながら子育てし、何とか長男も養護学校を卒業。作業所に通いはじめましたが、1年目はなかなかうまくいかず苦労しました。最初の夏に作業所でパニックをおこし、そのあとしばらく通所ができず、私もいよいよ仕事ができなくなるかなという覚悟を決めた時期がありました。おかげさまで不思議と何とか乗り切ることができましたが、非常勤の職場は医師が一人という職場も多く急に休むと多大な迷惑になるため、非常勤の仕事を大幅にお断りして、夫が院長を務める整形外科での“明子外来”の時間を増やしました。一人30分、レントゲンも注射も焦らずのんびり、唄を唄ったり、絵カードを見せたりしながら行うというものです。夫の医院での外来数を増やしてたくさんの患者さんにお会いしはじめると、障害者は、障害そのものの診療と同様に、一般的な内科診察がうまく受けられずに困っているということがまだ少なからずあるんだなと肌で感じました。友人の婦人科医師に来てもらい、私が通訳?として一緒にはいる婦人科相談もこのころ始めたものです。明子外来はちっぽけな外来ですが、それなりに価値があり、喜んでくださる方もいる、大袈裟ですが、自分のこの世での役割ってこれかも!と思い始めました。医療バリアフリー、そんなことも考えてみたいと思いました。だんだんと、混み合っている夫の医院よりも、もっと静かでのんびり診療ができる場がほしくなり、現在の野のすみれクリニック リハビリテーション科にたどり着いたというわけです。港北区という地域に根付いて、毎年愛らしい花を咲かせるすみれのように、小さい幸せもずっと続きますようにと名付けたクリニックです。これまでは主にすでに障害の告知をうけた患者さんが多かったのですが、この風変わりなクリニックを開業してみると、療育センターに行くまでではないが学校への不適応に悩んでいる子どもたち、就職して初めて発達障害に気付いた人、などいろんな方に会い、もっともっと勉強しなくてはと思うようになりました。
私の医師としての人生に転機を与え続けている長男は25歳になりました。自閉症あるあるのエピソード満載で、困ったクンといっていい青年です。ほんとにたくさんの方々に親子ともどもお支えいただいています。私も若いころにはなかなか人に託すというのができなかった時期もありましたが、長男もうるさいかーちゃんから子ども扱いされるより、若い方に大人として接していただく方が適切な年齢になったんだしと、時に寂しいですが、離れる時期が来たんだなと感じる今日この頃です。みなさまにあれこれ偉そうにアドバイスさせていただいてる医師であっても、長男のことになると客観的になれないし、感情的になるし…それが母親と最近は開き直って、みなさまに託しています。周囲に託せるひとがたくさんいてくださるのは幸せです。そして、その分というのも変ですが、私も医師として託される立場になったときには全力を尽くそうと思います。
そんな長男ではありますが、親バカなのですが、私は自分より強くて優しい魂を持っているように感じています。お話もできなし、身の回りのこともいまいち、もちろんネットで何か調べることもできないけど、人を信じて前をむいて毎日なんだかかんだか暮らしている…。私のクリニックでゆったりした時間の流れで障害のある患者さんを診療していると、障害や病気でなく、その人そのものに接するチャンスがあります。趣味のこととか、悩みのこととか伺うとなんとも深いお話が聞け、魂に触れるような瞬間があり、感動したり尊敬したくなることばかりで、出会いにありがとうございますと言いたくなる。支えている人より、支えられている人の方が、たくさんの苦しみを乗り越えて、辛抱強く、とても勇敢に人生を歩んでいるんですよね。支援する人支援される人、診る人診られる人、多数派少数派…などなどの固定観念から抜け出した、フラットな共生社会が来ますようにと医師として母として願ってやみません。たくさんのピースで出来上がっている社会は誰一人欠けても出来上がらないものです。長男も患者さんもピース、私もピースとしてできることを探しながら、ゆったりとここに根を張って頑張りたいと思います。最後になりましたが、寄稿のチャンスをいただき感謝しております。若輩ものですが今後ともよろしくお願いいたします。
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